~monologue de sommelier(ソムリエのひとり言)~ ワインにまつわるエピソード
※このひとり言は2013年に東京の「ラベル新聞」に連載されていた同筆者のコラムになります。
寄稿 シニアソムリエ 石田通也氏 ⑤ 「ワインラベルとetiquette(エティケット)」
ラベル新聞2013年10月1日号~毎月1日号に連載
今回と次回は、いろいろなワインのラベルにまつわる印象的なエピソードや、ビハインドストーリーをご紹介したいと思います。
多くのワイン生産者やワイナリー経営者は、自身の理念や思いをワインに託し、それを視覚で表現するためにラベルに表示します。感動的なものから伝説的になっているもの、コミカルなものまでさまざまです。まずは、ラベルのストーリーとして有名なところから2つご紹介します。
名言からハートラベル
最初は、ラベルに大きく描かれたハートマークで有名な「シャトー・カロン・セギュール」です。フランスのボルドー地方、オー・メドック地区サンテステフ村のワインで、12世紀からの古い歴史があるシャトーです。こちらは1855年から、グランクリュクラッセというボルドー商工会が制定している特級格付けの第3級になっている優れたワインです。ラベルのハートマークが印象的で、バレンタインやクリスマス、結婚の宴など、相手に親愛を表現する時に興される事の多いワインですが、このハートマークを付ける事になった逸話をご紹介します。
カロンとは直訳すると「運搬船」の事で、当時の畑の名前でした。セギュールとは名門セギュール伯爵家の事で、18世紀、当時の当主ニコラ・アレクサンドル・ド・セギュール伯爵は「畑の王子」と呼ばれるほど、ワイン造りに力を入れていました。当時セギュール家は、超一流シャトー「ラフィット(グランクリュクラッセ第1級)」や「ラトゥール(同第1級)」ほか、素晴らしい畑をたくさん所有していました。そこで、どの畑が一番お好きか、葡萄畑の王子、セギュール伯爵に聞いたところ、彼はこう答えたそうです。「ラフィット、そしてラトゥールにても私はワインを造ってきた。しかし私の心はここ、カロンにある…」と。なぜ、彼は超一流の畑、ラフィットやラトゥールよりも無名に近いカロンを愛していたのか。一説にはカロンは元々、妻の家、ガスク家が所有していたからだとも言われております。遠回しに私の心は奥さまにあると言っていたのでしょうか。葡萄畑の王子から、あたかも恋人のように愛されたワインは、こうしてラベルに大きなハートマークを冠し、シャトー・カロン・セギュールと名付けられるようになりました。
唯一格付け変更のワイン
次は、毎年ラベルの絵画が変わる「シャトー・ムートン・ロートシルト」です。ロートシルトとは、イギリス金融界の帝王と言われたユダヤ系の大富豪、ロスチャイルド家の事で、ムートンはロスチャイルド家が所有する前の名前「シャトー・ブラーヌ(所有者)・ムートン」からきており、ロスチャイルド家が所有してからシャトー・ムートン・ロートシルトとなりました。このムートンは、今でこそグランクリュクラッセ第1級に格付けされていますが、制定された1855年当時は2級でした。当時の当主ナサニエルは、1級を確信していただけに大変な屈辱だったと伝えられています。そこから品質向上のためのまじい努力が始まりました。さらには政治的な根回しや文化的な貢献など、あらゆる努力の結果、1973年、ついに160年のグランクリュクラッセの歴史の中ではただ一度、例外的に格付けの見直しが行われ、第1級に昇格したのです。この時の当主フィリップの言葉です。「第1級となりぬ、かつては第2級なりき。されどムートンは変わらず…」。
この時の文化的な貢献を支えたのがフィリップの2度目の妻ポーリーで、毎年変わる一流画家の描く絵画のラベルなど、シャトーを文化面でイメージアップさせる事に成功させました。ラベルに芸術家の絵画を載せるのは24年から始まっておりますが、毎年変わるようになったのは46年以降になります。有名なところでは47年のジャン・コクトー、48年にマリー・ローランサン、58年はサルバドール・ダリ、70年にはマルク・シャガール、そして第1級に昇格した73年はパブロ・ピカソでした。日本人も79年の堂本尚郎、91年のセツコ・パルテュス(出田節子)と、過去2人の画家が描いていおり、毎年誰が選ばれるかマニアの垂ぜんの的になっています。ちなみに、画家の報酬はお金ではなく、ワイン、シャトー・ムートン・ロートシルトで支払われるそうです。
このような歴史的背景を踏まえつつワインやラベルを味わうと、また楽しみもひときわ膨らみます。ムートンに至っては、その空きびんを集めるコレクターがいるほどです。ワインは香りや味だけでなく、ラベル(視覚)からも味わう事のできる楽しいアイテムだと言えます。
著者:石田通也氏
1970年、長野県明科町(現安曇野市)生まれ。大阪あべの辻調理師専門学校で料理を学んだのち、㈱プリンスホテルへ入社。各レストランに配属されサービスを学ぶ。「シニアソムリエ」「きき酒師」「ビアテイスター」などの資格を持ち、05年には、「第4回全日本最優秀ソムリエコンクール兼第12回世界最優秀ソムリエコンクール日本代表選考会」でベスト16に。現在は、長野県松本市深志のフレンチレストラン「Le SALON(ル・サロン)」オーナーとして活躍する傍ら、ホテル、レストランのイベントプロデュースなども手がける。11年に㈳日本ソムリエ協会技術委員・上信越支部地域委員、同年、長野県原産地呼称管理制度日本酒・焼酎官能委員に。